【妄想】 マンフレット・ストラングの原稿案
- ワイルド
- 3月12日
- 読了時間: 6分
ホテルハイタワー怪異事件 全記録
ニューヨーク・グローブ通信
特別調査報道 担当:マンフレット・ストラング
【第一報】1900年1月1日付 朝刊
大富豪ハイタワー3世、大晦日の夜に忽然と消える
自室へ向かったエレベーターから帽子のみ発見 警察は原因究明を急ぐ
ニューヨーク、1900年1月1日――昨夜、マンハッタンの一等地にそびえるホテルハイタワーにて、同ホテルオーナーで著名な探検家・収集家のハリソン・ハイタワー3世(以下、ハイタワー氏)が消息を絶つという前代未聞の事件が発生した。
新世紀を迎えるカウントダウンの歓声が上がる直前、午後11時45分頃のことである。ハイタワー氏はコンゴ遠征より持ち帰った偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」を自室に飾るため、パーティー会場を後にし単独でエレベーターへ乗り込んだ。それが、彼の姿を見た最後となった。
日付が変わった午前0時ちょうど、ホテル全体の電気系統が突如として制御不能に陥り、エレベーターが最上階から急落下した。異変に気づいた付き人のアーチボルト・スメルディング氏が落下したエレベーターの扉をこじ開けたところ、内部にハイタワー氏の姿はなく、床には彼の愛用の帽子と、例の偶像だけが残されていた。
「信じられません。ついさっきまでご一緒していたのに」とスメルディング氏は蒼白な顔でこう述べるのみで、それ以上の詳細を語ることを拒んだ。
警察は現在、ホテル内外の捜索を続けているが、手がかりは皆無に等しい。
なお、この場所に絶対に近づいてはならない。私がこの謎を解き明かすまでは。
【独自取材】1900年1月3日付 朝刊
消えた富豪と「呪いの偶像」 記者が直撃した会見の一部始終
「馬鹿げた呪いの正体を見てやろう」——それが彼の最後の言葉だった
本紙記者は、ハイタワー氏が失踪した当夜、ホテル内に居合わせていた。
事の始まりは1899年12月31日の夕刻、ホテルハイタワーの大広間で開かれた記者会見に遡る。コンゴ遠征から帰国したハイタワー氏は、現地の部族から入手したとされる偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」をテーブルの上に誇示するように置き、満面の笑みで報道陣の前に現れた。
「莫大な金をかけ、命を危険にさらして手に入れた。原住民の皆様方は手放すのを嫌がったがね」と、彼は得意げに語った。
この"入手の経緯"に不自然なものを感じた私は、食い下がって質問を続けた。コンゴ川流域のムトゥンドゥ族が崇拝するこの偶像を、ハイタワー氏が強引に奪い取ったという情報を事前に掴んでいたからである。しかし、質問が核心に触れたところで、会場の係員数名に両脇を抱えられ、記者会見場の外へと放り出された。
会見終了後、ホテルでは新世紀を祝う盛大なパーティーが開かれた。私はウエイターに変装し会場への潜入を試みた。そして、その場でハイタワー氏とスメルディング氏の最後のやり取りを目撃することになる。
エレベーターへ向かう直前、スメルディング氏は主人に向かって「くれぐれもご注意ください。そして敬意をお払いください」と懇願した。しかしハイタワー氏はこれを一笑に付し、火のついた葉巻の先端を、偶像の頭部に押しつけた。「馬鹿げた呪いとやらの正体を見てやろうではないか」と言い捨てて、エレベーターの扉が閉まった。
——午後11時45分のことである。彼は謎の疾走を遂げた。
なお、この場所に絶対に近づいてはならない。私がこの謎を解き明かすまでは。
【解説記事】1900年1月5日付 特集
「シリキ・ウトゥンドゥ」とは何か
コンゴ川流域に生きる信仰と、タブーを犯した男の末路
「シリキ・ウトゥンドゥ」。スワヒリ語で「災いを信じろ」を意味するこの名を持つ偶像は、コンゴ川流域に暮らすムトゥンドゥ族が代々崇拝してきた神聖なものである。
その腹部には、約200年前に実在したとされるシャーマン・シリキの遺骨が納められているという。シリキは強力な霊力を持つとされ、周囲から畏怖と尊敬を同時に集めた、悪戯好きのシャーマンであったと伝えられている。
ムトゥンドゥ族の間では、この偶像の取り扱いに関して厳格な8つの掟が定められていることが、今回の取材で明らかになった。火に近づけること、閉ざした場所に仕舞うこと、粗略に扱うこと、嘲笑すること——これらはすべて厳しく禁じられており、「恐れるものとして扱う」ことが求められるという。
ハイタワー氏がエレベーター内で行った行為——燃える葉巻を頭部に押し付けたこと——は、これらの禁忌のうち少なくとも三つを同時に犯すものであった。
なお、偶像を奪われたムトゥンドゥ族の長キジャンジは、その後間もなく他部族の攻撃を受け死亡したとの情報も入っている。息子のキブワナ氏は生還しており、現在は別の仕事に就いているとのことだが、詳細は確認中である。
なお、この場所に絶対に近づいてはならない。私がこの謎を解き明かすまでは。
【社説】1912年6月5日付
ホテルハイタワーは取り壊すべきだ
13年間放置された「呪われたホテル」が市民に与える影響を問う
あの大晦日の夜から、13年が経過した。
ホテルハイタワーは現在もマンハッタンに廃墟として立ち続けており、地元ではいつしか「タワー・オブ・テラー」と呼ばれるようになっている。窓は割れ、外壁は煤け、かつて社交界の華やかな宴が繰り広げられたその建物は、今や街の景観を損ない、青少年に不必要な恐怖と好奇心を植え付けるのみである。
事件の真相は、13年を経てもなお解明されていない。筆者はこの間、ハイタワー氏の失踪と偶像に関する調査を続けてきたが、理性ある人間として言えることは一つだ。この建物を存続させることに、公益上の意義はない。
ホテルハイタワーは速やかに取り壊すべきである。
なお、この場所に絶対に近づいてはならない。私がこの謎を解き明かすまでは。
【続報】1912年9月4日付 夕刊
廃墟に灯が戻った——保存協会主催の見学ツアー、本日開催
市公認団体が改修 エレベーターで「あの最上階」へ
保存か、取り壊しか。本紙の社説が論争の火種となってから約3ヶ月、ニューヨーク市保存協会の主催による「ホテルハイタワー見学ツアー」が本日、ついに実施された。
7月20日にニューヨーク市議会より正式に公認を受けた同協会は、この夏の間に改修工事を急ピッチで進め、ホテル内部を一般公開できる状態へと整えた。代表のベアトリス・ローズ・エンディコット氏は「ハイタワー3世が集めた数々のコレクションと、この建物の歴史を、多くの市民に知ってほしい」と語った。
ツアーの目玉は、貨物用エレベーターに乗り込み、ハイタワー氏が失踪した時に向かっていた最上階の私室を訪れるという体験だ。貨物用エレベーターに乗り込む前の書斎には事件当夜に回収された「シリキ・ウトゥンドゥ」が展示されており、ハイタワー氏が記者会見で残した肉声の録音も公開されている。
本紙記者として、あの夜の一部始終を目撃した立場から申し上げる。このツアーを訪れる市民の皆さんには、どうか「見世物」としてではなく、一つの歴史的事実とシリキ・ウトゥンドゥの呪いとして、この場所に絶対に近づいてはならない。私がこの謎を解き明かすまでは。
何かが、あのエレベーターの中で起きた。
それだけは、確かである。
ニューヨーク・グローブ通信 社会部 マンフレット・ストラング記
※すべてバックグラウンドストーリーを正とする場合の非公式の妄想です。

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